大名古屋ビルヂング〜Forever

惜しまれつつも半世紀の幕を閉じた名古屋のシンボル

1965年5月11日の竣工以来、名古屋駅の歴史を見守ってきた大名古屋ビルヂング。
その珍しいネーミングから、名古屋駅のシンボル的存在として、他県から訪れる人たちへのインパクトも与えていた。

 

名駅地区の再開発の波、そして建物の老朽化も伴い、2012年9月30日をもって閉館。
三菱地所の計画の下、新しいビルは地上34階・地下4階建て、高さ約190mの高層ビルとして2015年に生まれ変わる。

 

大名古屋ビルヂングの歴史

竣工の背景

東京を拠点に活躍していた三菱地所の地方進出への足がかり的な存在として生まれた大名古屋ビルヂング。
1959年の伊勢湾台風後の惨憺たる名古屋の状況を打破すべく、三菱地所大型ビルの建設に動き出した。竣工自体は1965年だが、正面中央部分・ビル左側部分・ビル右側部分と3段階に分けて完成させた珍しい建築手法を取り入れていた。

 

建設工事の様子

 

竣工時の様子

 

風変わりな名称の由来
なぜビルヂング?

英語の「building」の日本語訳は,ダ行の「ヂ」(diはdを含む発音)である為、この名称になったとされています。
しかし戦前の日本ではdiの音を「ヂ」で表現する事は珍しくなく、昔の三菱地所のビルはほとんどが「ビルヂング」という表記であった。

 

なぜ大名古屋?

伊勢湾台風による甚大な被害を受けた名古屋。当時の三菱地所社長渡辺武次郎が「大名古屋圏の御用を務めてほしい」との願いを込め、あえて「大」という文字を付けたとされている。
実は名古屋の隣県「岐阜県」にも、同様に「大」の名前が付いたビルがある事は意外と知られていない。かつてJR岐阜駅前にも「大岐阜ビルヂング」という名前のビルが存在していた。現在は大岐阜ビルとなっているが、これは大名古屋ビルヂングを意識して付けたネーミングという説もある。

 

広大な名古屋駅の地下街を支えたダイナード

他府県と比べても発達した地下街を備えている名古屋。
戦後に本格的な地下街の建設に取り掛かったのは、名古屋が日本で最初だという説も。地下街の歌なども作られ、名古屋の発達した地下街は当時から全国的にも注目を集めていました。

 

その名駅エリアの広大な地下街の一端を担っていたのが、1963年(昭和38年)3月に開業した大名古屋ビルヂングの地下街「ダイナード」。サンロード・新名フード・メイチカに続く4番目の地下街として誕生しました。
喫茶店や名古屋名物のあんかけスパ・ういろう・味噌カツのお店など、名古屋の文化を象徴する飲食店が立ち並び、名古屋の人だけではなく名駅を訪れた観光客にも人気がありました。

 

ノスタルジックな雰囲気の地下街「ダイナード」

 

進む名駅地区の再開発プロジェクト

2015年10月に竣工予定の「新生代名古屋ビルヂング」は、ミッドランドスクエア、JRセントラルタワーズに次ぐ高さとなり、名駅で高層ビルとして生まれ変わる。
尚、名称については「新しくなっても長年親しんだ名前はそのまま残して欲しい」との声も多く、「大名古屋ビルヂング」の名前を継承すると、三菱地所は発表している。

 

大名古屋ビルヂング〜Forever

 

名古屋の人々への感謝のメッセージ

2012年09月25日〜30日まで、大名古屋ビルヂングのビル全体に「THANKS」という感謝のメッセージが表示された。

 

設備の老朽化も進んだビルという事もあり、ブラインドと室内照明を駆使しメッセージを表示。取り壊される大名古屋ビルヂングの思い出に浸る人も多く、Twitterにも数多くの画像が投稿された。

 

名古屋のシンボルとして半世紀に渡って時代の移り変わりを眺めてきた大名古屋ビルヂング。その思い出はいつまでも人々の記憶に残り続ける…。